平和を唱える者が作る戦争。

アウンサンスー・チーが日本に来て、8000億円の援助を得た。
アウンサンスーチーは英国人との間に子供がいて、大統領にはなれない。
だが、事実上現政権のトップである。
ミャンマーでは国家の第一指導者は王とみなされる。
そして、王は国を出ない。
前政権(軍事政権といわれる)の第一書記・タンシェ将軍も国外には出ていないはず。?。
国際的な認知度ではアウンサンスーチがミャンマーの顔でカリスマであるが、
ミャンマー国内ではタンシェ将軍もカリスマである。
独裁者タンシェ将軍が自ら引退するという、独裁者という存在と矛盾する行動をとった。
紆余曲折アウンサン政権ができた。
むしろ、そういう誘導がされたといっていいだろう。
民主的というのはUSAのお好みであり、アウンサンスー・チーと会談するオバマの舞い上がり方はすごかった。
その民主的アウンサンスー・チーを支持し続けたのがイスラム教徒である。
アウンサンスー・チーの法律顧問がイスラム教徒コーニー氏。
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今年1月にインドネシアから帰国した、ヤンゴン空港で暗殺された。

ミャンマー経済は意外な混乱に落ちいっている。
その経済的不信打開のため日本に来たスー・チー
これは、タンシェ軍事政権の時と似ているが、
タンシェ将軍は国を出ない、日本は隠れ援助を与え、その時の国家予算二年分を出した。
スー・チーは日本にきて、アメリカの経済制裁もないので8000億を得たが、
国家元首が国を出て、援助を求めたことは、ミャンマー人のプライドを傷つけたであろう。
そして、タンシェ将軍は仏教僧侶でも過激派はインセイン刑務所に投獄していた。
タンシェ将軍の宗教弾圧であった。?
スー・チーは事実上過激派仏教僧侶を解放し、その後国家元首となった。
すると、過激派僧侶は過激なことをして、ミャンマー西部などで民族対立と宗教対立が起きた。
もっとも対立が深刻な地域を安定させたのはミャンマー国軍である。
結論的に、スーチー政権は宗教対立民族対立に何ら理念も方策も示さず、示せず、
その対立が、本年8月ラマダーンの時、バングラデシュからイスラム過激派の越境攻撃で、
ミャンマー守備隊21名が戦死した。
日本での報道では政府軍がイスラム教徒を殺したとなっている。
これは戦争であり、戦争は殺しあいなのであって、
バングラデシュからロヒンギャ族がミャンマー国境警備隊を襲って戦闘状態にあるということ。
バングラデシュ川では国境で軍事訓練をバングラデシュ国軍が行っている。
日本では知られていないがミャンマーとバングラデシュ国境の未確定地域の島には、
アメリカの海軍艦艇が日常的に停泊しているとか。
このようなアメリカのプレゼンスでも海上での戦闘ということにはなっていなことに役立ついようだ。
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ミャンマーでは、今年は来年のカレンダーの売れ行きが良くないらしい。
スーチーでは絵柄がよくないらしい。
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平和憲法があると平和になるのか。
アウンサンスー・チー法律顧問が訪れていた、
インドネシア・マレーシアから多くのIS戦闘員を輩出している。
同時に毎月3000トンのアーミーカーゴがインドネシアから、
バングラデシュに送られているとか。

スーチー政権はミャンマーの統一を維持できるか。

タンシェ将軍は最後の演説で、「ミャンマーの統一と独立が危機に陥れば」
「国軍はいつでも立ち上がる」と宣言した。

ミャンマーは国際的経済制裁に50年堪えることができた。
それならあと100年も平気だろう。

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