山健組トップが替わると、地方ヤクザ社会が変わる。

山健組とは、「山本健一」を頭にする組織だった。
三代目山口組の二次団体。
同様な組織に菅谷組がある。菅谷政雄を頭におく団体。
菅谷組は神戸の国際暴力愚連隊であった。
神戸連合というべき存在。関東連合みたいなもの。
山健組は当時組員50人。
菅谷組は組員というなら、1000人。
その傘下の不良は5000人を超えていたであろう。
時系列は省略するが、
白いコートに身を包み、北は北海道、
熱い地域ではサージの背広で暴力団の組織化を推進したのが
菅谷政雄である。
三代目山口組を破門されても数年にわたり菅谷組看板を維持して、
1981年最後は肝臓ガンで死亡。
その直前に田岡山口組三代目がなくなっている。
1982年山本健一組長も亡くなり、
その後山口組に内部分裂の傾向が続いたのはご承知の通り。
山健組は組織的には少数組織であったが、
総長とばく事件など、警察庁第一次頂上作戦にたいする処理では
田岡三代目の守役を務め、三代目山口組が田岡組長を親とするなら、
家庭内の長兄であり、山本広や菅谷政雄が経済力組員でしのいでいても、
三代目山口組を運営するのは山本健一であった。
これが、ヤクザ社会のルール。
田岡三代目の舎弟に益田佳於がいる。そして東声会沖田()守弘もいる。
益田は横浜に組を設立。沖田氏は東亜会に移籍。
これらは三代目山口組の政治である。
四代目山口組組長が兵庫姫路の竹中組に指名されると、
山広組と竹中組の抗争となった。
山広組側に加茂田組がついて、圧倒的多数であったが、
この抗争事件は、竹中組組長の銃殺事件を経て、
山健組健竜会の渡辺芳則氏が五代目となった。
渡邊氏は山本健一氏の運転手役。
これはヤクザ社会では親の長子の仕事である。
(山本氏は五郎と呼んでいたそうな。)
菅谷組の系列に後藤忠政、生島久次などがいる。
菅谷組は愚連隊であるから、住吉会牧氏や松浦組とも関係が深く、
関西で松浦組が住吉一家支店として存続していた所以の元。
横浜に益田組があるようなことであろうか。

1 山健組健竜会とは。
これは大和川以西の同和社会の社会的発言装置である。
竹中組組長の一族から治安維持法で獄死させられた人物がいた。
辻元清美の西淀生コンユニオンと比較されたい。
歴史と社会に基盤を持つ組織は少数でも消えることはない。

2 大阪戦争。
これの一翼を担った、I氏は徳島刑務所で長期服役。
I氏の同郷が名古屋の弘道会組長であった。
後藤忠政は川内組をへて伊堂組移籍。
菅谷組系列であるが、親を菅谷に殺されている。

3 名古屋山口組弘道会という存在。
港湾会社鈴木組の運転手としてスカウトされたS氏は
田岡三代目の兄弟分(堅気の港湾関係親分達)が、
ヤクザをやめたときに、弘田組に預けられ、弘道会を結成した。
田岡氏も正業を続けてヤクザをやめる予定であったが、
山本健一氏の二日にわたる説得と懇請から正業をやめて、ヤクザ一本となった。
山本健一氏の説く社会的使命を考えられたのであろう。
ちなみに、港湾労働ユニオン神戸支部支部長は田岡氏であった。

4 I氏がいて、S氏もいる。
山健組K氏がスワット事件で不在となり、
その後継を決めねば、健竜会から五代目の跡はでない。
逆に言うと、スワット事件がなければ、K氏が六代目になるはずであった。
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そういう状況を変えたのがスワット事件である。
スワット事件で最後まで娑婆にいたのが瀧澤孝である。

4 東北で住吉会と山口組が合併する
金で外国人と犯罪をコラボする任侠標榜愚連隊がいる。
覚せい剤がそのしのぎであるが、
最近は一般人にその輸入をさせることが多い。
オレオレ詐欺。投資詐欺も主流である。
同様の現象は各地で起きるでしょう。
こういう現象があって、社会的存在基盤が変われば、山口組集中も変わってくる
あるいは、山口組ウーバーアーレスとなるのか。
見守るしかない。

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