記事紹介 (王長徳について)


http://canpan.info/open/news/0000001889/news_detail.html
坪内 主人公・王長徳がオーナーをしていたクラブ・マンダリンというお店について詳しく書いてありますよね。昔、「アルスグラフ」っていう雑誌があって、増刊号で銀座を特集した時に、マンダリンの綺麗な写真が載っていた。連日、賭博が行われていたとかで、そのスキャンダルを暴いたのが三田さんだったということは、この本を読んではじめて知りました。

康 厳密に言うと、こういうことなんです。当時の読売新聞は社会部帝国主義の時代だった。そのボスが女優の香川京子の亭主だった牧野拓司。まだ本田靖春が新米のチンピラ記者だった頃の話ですけど、読売で「東京租界」という連載特集を組んで、マンダリンの話を取り上げた。立役者が牧野で、その下に三田がいたんだ。

坪内 「アルスグラフ」の中でも、確か、東京租界という言い方をしてましたね。
香港かと思うぐらいにエキゾチックで、戦後のあの時期の銀座・新橋辺りって面白かったんだなって思いましたよ。
で、うちのお袋も、戦前、上海にいて、実は父親よりももっとディープな環境にいたんですよね。
うちの祖父が児玉機関の吉田(彦太郎)さんをすごくかわいがっていたらしくて、僕も「吉田の彦ちゃん」
という呼び名を聞いたことがあるぐらいだから。
王さんの息子さんがやっていた宝石屋にも、十年ぐらい前まで、お袋はよく行っていた。だから結構事情に詳しくて、上海時代の話を聞いたりすると、中国マフィアの話もよく出てくる。
赤幇(ホンパン)とか青幇(チンパン)とか。王さんがそれとどう関わりがあったのか。
この本には、そういう話は全然出てきませんよね。

康 ご本人は、終戦直後、中国国民党の軍属・将校みたいな形で日本に乗り込んできたと言っている。実際にはどうだったのか。

坪内 国民党の将校だとしたら、青幇でしょうね。

康 可能性はあります。蒋介石は青幇ですから。当時は、終戦直後、日中国交が断絶したまま、大使館じゃなくて、代表部というのがあったわけですけど、その代表部に王さんが自由に出入りしていたことは、僕は知っているんですよ。国民党となんらかの関係があったのも確かでしょう。ただ、どこまで深い付き合いがあったのか。関係者がほとんど生きていないから、真偽のほどが明らかではない。実は、その点については、個人的に、言いづらい部分がいっぱいあるんです。つまり、日中戦中に、国民党が割れて、親日の汪兆銘政権が誕生したでしょう。その南京政府駐日大使館侍従医を僕の親父がやっていたこともあって、戦後は「漢奸」(売国奴)と言われて、戦犯として代表部に逮捕されてしまったわけだから。王さんとはまったく逆の立場。ひとつ言えるのは、終戦直後、彼が、いわゆる「第三国人」の特権を利用することによって、新橋界隈で強引な商売を展開して、いろいろトラブったことは事実。あの辺りは松田組が抑えていたから、そこに膨大な利権料を払って、闇物資を流しながら儲けていた。それがこの本のアウトラインですよね。夏目さんも、お金を借りて揉めたっていう話を随分してましたよ。ただ、タイトルに「帝王」とあるけれども、当時の東京の闇市を全部押さえていたような印象も受ける。そこは誤解されるかもしれませんね。まあ、全体としてちょっとオーバーな語り口であることは確かなんだ。

坪内 著者が、闇市というものをよくわかってないんじゃないかっていう気もしたんですよ。僕らの子どもの頃は、まだ闇市の名残がいろいろあって、イメージできるものが具体的にあったわけですね。新橋駅前ビルの地下とか、有楽町の交通会館の雰囲気とか。行けばすぐに元闇市だとわかった。その辺りを、理解していない感じがする。

康 当時の闇市について少し話をしておくと、池袋は極東、新宿は尾津組とかに分かれていて、新橋も松田組が押さえていた。彼らが三国人とも結合しているわけだけれど、三国人はただの供給源であって、ダイレクトに闇市をコントロールしていたわけではない。僕も、砂糖とか食料品を、仲買人のところに持っていったことがある。自分自身、三国人ですから、そこに流れてくる物資を横流しする。闇市の現場に持って行くわけではなくて、ヤクザの親分のところですけどね。そうやって、ある時期までは、割合自由に儲けることはできた。ただ、この本にも書かれてありますが、最終的には、王さんも、新橋にあった会館の不法占拠事件で裁判に負けることになりますよね。はっきり言えば、三国人の力が社会的にも法的にも弱ってきた結果でしょう。

http://www.wako.ac.jp/souken/touzai_b01/tz_b0109.html
 隠退蔵物資摘発運動と朝鮮人の協力
遠藤 敗戦から一九四七年の二・一闘争まで、たとえば、国鉄労組の立場からだと、隠退蔵物資摘発運動というのがあったんです。仙台にも航空廠があって、その倉庫には大豆がいっぱいあったりしましたが、それを摘発しました。また、日本陸軍が、蔵王のふもとの農家の蔵などに、建築資材と称してバターや缶詰などの食料物資を隠していました。その情報をよく知っているのが朝鮮人だったんです。釘などの建築資材は、国鉄が引き取って、その後の鉄道建設の基本材料にしましたが、報せてくれた朝鮮人たちには、食料などの物資を、ある程度まとめてポンと渡すということはよくありました。
高橋 共産党が最初に手をかけたのは、隠退蔵物資の摘発でした。全国的にやりましたが、それを一生懸命手伝ってくれたのが朝鮮人たちでした。
遠藤 そして、情報をよく知っていました。
―M もしかすると、アメリカ軍が朝鮮人に情報を流したということがあるのではないでしょうか。GHQが最初日本の軍事物資の処分についてやっていて、実際の兵器になるものは破壊しているわけですから。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/001/1380/00109231380017c.html

 それからキヤラコ事件というものがありまするが、目下東京地方檢察廳において捜査中のものであります。被疑者は佐々木在久、大野圭演、泊利一、平山寅雄という者でありまして、佐々木は弊原男爵の甥であり、大野は朴烈の伜であり、泊は滿洲國高官であると名乘りまして、大倉喜七郎、中島知久平共有の無籍物のキヤラコ五萬七千反が桂公爵邸や野村大使邸の地下室に保管してあるが、大倉からこれを正規のルートによる賣捌き方を依頼せられていると稱しまして、G・H・Qの輸送證明書のごときもの及び朝鮮獨立促進青年同盟の加工委託及び輸送證明書を作成いたしまして、漆原徳藏ほか數名を欺岡いたしまして、代金名下に百九萬八千圓を騙取いたしまして、全部遊興に使用したことがわかつておるのであります。

http://mindan-tokyo.org/bbs/history.php

? ? 1945年の日本の敗戦により民族解放が実現した。在日同胞は8月18日に杉並で「在日朝鮮人対策委員会」が組織されたのを皮切りに、全国で数多くの同胞団体が組織された。しかし、こうした群小組織を一体化するため同年10月に結成された「在日朝鮮人連盟(朝連)」は、発足当初から共産主義の左派が独占するようになり、これに不満を抱いた同胞青年たちは11月に「朝鮮建国促進青年同盟」を組織した。
 同年11月、秋田刑務所から出所した戦前からの同胞指導者であり、後に民団初代団長となる「朴烈」は、左派に独占されていた朝連に入ることを拒否し、共産主義化に反対し決起した「朝鮮建国促進青年同盟」と「新朝鮮建設同盟」を主軸として民主勢力を糾合、共産主義者らの妨害をのりこえて1946年10月、日比谷公会堂で2000名の同胞が集い「在日朝鮮居留民団」を結成した。
 東京においては、12月に豊島、板橋、練馬の3区連合支部が結成され、翌47年2月に文京、台東、北、墨田、江東、江戸川による6区連合支部と、中野、新宿、世田谷、目黒、渋谷の5区連合支部が相次いで結成された。
民団東京本部は、こうして結成された各支部組織の代表が集い、1947年2月28日に文京区内において「在日朝鮮居留民団東京本部」結成大会を開催し、今日の民団東京本部がスタートした。
 民団は1948年、韓国政府の樹立とともに在日同胞の公認団体として同年9月、正式に認められた。また、韓国動乱の時には祖国防衛のために641名の青年学徒義勇軍が編成され、第一線に参戦している。

闇市については いまでも三国人と 日本人やくざの闘争という点から語られることが多いのですが ここにあげたものを裏読みするだけでも ちがう風景も見えてきます 田岡 稲川の親分にしても その傘下には 在日の親分衆が かなりいるらしいことを思えば
うまく利用したというのが ホントのところではないかと思います
このさいの三国人とヤクザと米軍の仲介役を務めたのが 児玉センセイの子分連中だったのではないかと思います

王長徳 (by AERA)
王長徳.jpg

呪いの三屏風(by AERA)

呪い法地.jpg

法地というのは崖でして、鎌倉方式、室町方式という認定方法がある。
この歴史的地境のことで各地で、そういう事件師が動くわけです。
佐世保にもある。
国道35号 - Google マップ_page-0001.jpg

王長徳も死んだでしょう。矢生さんも。
東熱海で鉄棒振り回した。王長徳。
楢崎弥之助、岸井、皆さん死んだでしょう。
裁判でウソ吐きまくり。
歴史です。
また佐世保ですよ。墓、坂、○×。金〇組。親和銀行。

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